タイポ講座 『手描きロゴ書体の作り方編』 に参加

今回は色々と刺激をもらうことができて、参加して本当に良かった。自分の制作プロセスや、講義のやりかた、私塾のスタイルについて色々見直すいいきっかけになった。

今日は午前中の講義を終えたあと急いで電車で移動。アオバトの代表でもあるクリエイティブディレクター 前崎成一さんが主催するタイポ講座に参加するために大野城市へ向かう。

急行で移動したので下大利で降りて歩くことにした。ここで降りるのは始めてかも。

駅前でロゴハンティング。指の節が名前になってる。
追記)どこかで見たなと思ったらウフラボ平野さんのデザインでした。

この辺は小倉南区に雰囲気が似てる気がする。

15分くらい歩いて会場に到着したけど10分くらい時間が余裕がある。朝から何も食べてなかったので食事をしたかったのだけど…すぐ近くにリンガーハットとお好み焼き屋を見つけたが、10分では難しそうなので我慢することに…すぐそばの本屋で時間を潰して会場へ。

ここは書道家である前崎さんのお父さんの書道教室なのだそう。会場はその1階にある 「アソビドコロ寸時」。今回この講座は、三迫くんが前崎さんにリクエストして実現したようで、僕はそのやりとりをSNSで見て申し込んだ。三迫くんに感謝しなきゃ。

タイポ講座始まりはじまり〜

本日のスケジュール。前半は座学、後半は実践の構成。
おやつ休憩まで空腹を我慢できるだろうか…

前崎さんが過去の仕事をスライドと共に、そのプロセスや着想について紹介しながら質問にも答えて進めるスタイル。一方的に教える講義じゃないのがいい。ロゴだけでなく、ブランディングに関する内容も少しだけ話してくれた。

前崎さんは、僕が今ではあまりやらなくなってしまった手作業をやっていて、とても懐かしい気持ちになったと共に、デジタルな制作環境に慣れすぎて忘れてしまっていた大事な感覚を思い出させてもらった気がする。

文字の資料として古書を利用することもあるらしい。そういえば最初の制作会社にも、古書の図案集とかあって、よく使ったな。

今回の講座のタイトル。ホワイトで文字をカットしたり、エッジを整えたりしている跡が見える。「講」の旁の上に矢印が書いてあるが、これはなんだろう。幅を後で広げるのかな。

実際のタイトルと比較してみると…あれ、「座」を見たらこれじゃないみたい。でも縦横比が違ってるから、もっと幅を大きく、というメモだったのかな。「講」のアタマのカウンターも変化をつけている。このへんはデータ化してから調整したのかもしれない。この辺の思考プロセスを聞いてみたかったけど、今回はテクニック中心でそういう話は無かった。

元となった文字の骨格も見せて頂いた。カナ文字と漢字は別の案を組み合わせているのがわかる。昔、パッケージの案件でミスコピーの裏紙にひたすら商品名を筆で書いて、あとで気に入ったのを組み合わせて作ったのを思い出した。これって別に自分で発明したわけじゃなくて、先輩たちがそうしてたから、そうするものなんだ、と思っていた。

おやつタイムで空腹を満たしながらw、参加者の手描き作品紹介。最初に三迫くんが仕事を見せてくれた(写真は撮れませんでした)。次に先輩の武藤さん。カリグラフィの作品を見せてくれた。武藤さんはカリグラフィを始めて7年になるのだそうで、かなり先を歩いておられる。
自分もロゴ案件の紹介をしたけれど、手描きのものが無くて反応はイマイチだった。(提案時にはあるんだけどね)

後半は、場所を変えてワークを行う。
毛筆、竹ペン、クレヨンを使って手書き文字を書く練習をやってみる。

お題は「桂離宮」「お豆の大福」をロゴに使う前提で書くこと。

書いてる最中に、それぞれのお題に合いそうな資料を持ってきてくれる。

金文体の書体見本。タイポグラフィの授業用に書体見本を集めたりしたけど金文体だけが手に入らなくて…。これは中国の書籍らしい。なるほど〜

みんなどんどん書いていく。

書いたら壁に貼っていく。さすが書道教室。長押の部分に金属板を巻いててマグネットですばやく貼れるようになっている。

一通り書けたら、全員で気になった案に印をつけていく。それを前崎さんが一つひとつ見ながらコンセプトを聞いて、全員に共有していく。講評するのではなく、思考のプロセスを引き出す。人の考えを聞いて気づきを得る時間。

大福の福の字は最後の「田」の中にある十字を省略する人が多かった。単なる点を描いたり、なにも書かなかったり。十字を書くとフォルムが野暮ったくなって、なんだか冴えない。

最後に少し時間が余ったので、各々で書く文字を決めて書くことに。何書くか悩んだけど、どストレートに「デザイン」。

あっという間の5時間。みなさんお疲れ様でした。

今回は色々と刺激をもらうことができて、参加して本当に良かった。
自分の制作プロセスや、講義のやりかた、私塾のスタイルについて色々見直すいいきっかけになった。といってもこの振り返りをしたから気がついたのだけど。

こういった、他の人とやり方を共有したり、情報交換できる場(本当はもっと話ができると良かったのだけど)はもっと必要だなと思った。最近制作会社で中堅デザイナーがいなくなって、若いデザイナーをどうやって育てていいか悩んでる人や、不安になっているデザイナーの話を聞く機会がある。

中堅デザイナーがいたとても目の前で手仕事を見る機会がほとんどなくて、テクニックすら身につかないのではないだろうか。また制作時の思考プロセスについての議論は、新たな気づきをもたらすけれど、そういった機会もないのではないだろうか。

自分もグラフィックデザインやブランディング、デザイン思考を学ぶための私塾をやっているが、もっと人数を増やしたほうが良さそう。そして、お互いに手仕事や思考プロセスを共有できる場にしていこうと思った。

デジタルツールが普及して誰もがデザインをする時代になったせいか、制作自体の価値が下がってきているのではと思っている(あるいは下げようとしいているのかも?)。それによって対価も下がるので、デザイナーは手間を掛けられなくなる。Webからデザインに関わるようになった若いデザイナーは手間をかける仕事を観る機会が減って、造形力を身につける切っ掛けが減り、アリモノ(レンタルイメージとか)でばかり済ませたり、作れないのでディレクターになります、みたいなことを言う人が増える。それが駄目とは言わないけど、そういう人ばかりになってしまったら、デザイナーという職業は単なるコーディネーターみたいになっちゃいそうだし、造形力がない人が造形を評価できるとは思えない。

UXや人間中心デザインなどを学んでコンサルティングのような領域に踏み込むようになったとしても、そういった観点は誰もが持ったほうがいいと思うから、デザイナーの造形力が要らなくなったわけではないと思うし、もし当たり前の考えになった時、造形が人々に与える情報を見極め、選択できる力はデザイナーの発揮する能力の1つで、それを持っているからこそ発見できる目をもつことができるのではないだろうか。